昨日18:30頃、夕食を取りながら報道ランナーの特集を観ていると「ルッキズム」のお話をされていました。
ルッキズムという言葉は恥ずかしながら初めて耳にしたのですが、それがどういったものか雰囲気は掴めたのでご紹介したいと思います。
目次
ルッキズムとは
ルッキズムとは端的にいえば「外見至上主義」のことです。見た目を揶揄して笑いに変えたりすることへの賛否がいま問われています。
最近でいえば、東京オリンピックの開閉会式の演出統括である佐々木宏さんがタレントの渡辺直美さんの見た目を侮辱するような演出を提案したことで退任に追い込まれた話がありました。
ルッキズムのテレビでの放映内容
人の見た目を笑いに変えるのは有りか無しか、というテーマでアンケートを取っていました。50人にアンケートを取った結果、7:43で圧倒的に笑いに変えるのは無しという結果となりました。特に10代の若い世代においては、賛否を考えるまでもなく無条件に笑えないという厳しい意見が飛んでいました。
見た目を笑いに変える匿名の芸人さんにも意見を求めたところ「自分は見た目で人に笑ってもらえるのでそれを幸せだと感じる。不幸だとは思わない。ただ、一般の人が見た目をバカにされて笑いにされるのは状況によると思うが、状況がどうとかいう考え方じたいがもう古いのかもしれない」といったニュアンスでお話されていました。
また、上智大学のミスコンのお話についても取り上げられていました。ルッキズムに左右されないありのままの自分たちでミスコンをつくろう!という考えのもと、ミスコン出場者に容姿での制限や審査を設けないとされていました。しかし結局ミスコンを獲ったのは容姿の良い女性であり、旧態然とした結果になり「ありのまま」を表現する難しさを感じたと運営委員の方はお話されていました。
ルッキズムはなぜ悪いのか
私はいまこういった問題が取り沙汰されているのは、オリンピックによる問題が多いからだと感じます。オリンピックは人種・性別・国籍といったあらゆる垣根を超え、政治の思惑に踊らされることもなく、純粋にスポーツで全世界が一致団結できるように考えられた祭典です。
それが森さんの女性蔑視発言に始まり、様々な問題が浮上してきています。そういう風潮だからこそ、このような特集が組まれたのだと思います。
私はルッキズムそのものは悪いことだとは思いません。第一印象は3秒で決まると言われるように見た目は自分を構成する上で半分程度を占める要素です。見た目だけで全てを決めるのは悪だと感じますが、見た目も自分の一部である以上、切っても切り離すことはできないのです。
ミスコンのお話にしても、いくら外見に左右されないありのままの自分といったって、容姿の優れた女性がミスコンを獲るのは当たり前で、それは才能だと思います。というより、容姿に自信のない人間がわざわざそんなところに飛び込むようなマネはしません。やるのであれば、顔もスタイルも完全モザイク、声も変声期で変えるくらいはしないと、間違いなく容姿に左右された結果になるでしょう。しかし、そうして出た結果が果たしてありのままの自分といえるのかというとそうでもないですよね。だって見た目を隠してるんですから。
むしろミスコンは堂々と自分の容姿を披露する場にして、ありのままとかそういった話は別枠でやるべきだと感じます。
ジェンダーレスとかLGBTQが許容されていく流れのなかで、ルッキズムを撲滅していこうという流れにも見えますが、果たして人の容姿を笑いに変えることは良くないのか?
ああ、笑いに変えると表現するからわかりにくいのでしょう。
人の容姿を笑いに変える ⇒ 状況に応じて有り
人の容姿を侮辱する ⇒ 無し
これだとわかりやすくないですか?
むしろ、あからさまにハゲてたり太ってたりするのに、そのことに一切触れずに会話してくる友人。「あぁ、気を遣われてるんだろうなー」と心の壁ができてしまう気がしませんか?
私なんかは容姿について思いっきりイジってくれたほうが、腹を割って話せている気がして嬉しいですし心許せます。なので、関係性次第ということかと。
おわりに
テレビで誰かが「生きづらい世の中になってきたなー」と発言されてました。
私は少し共感を覚えたのですが、果たして誰にとって生きづらくて誰にとって生きやすくなっていこうとしているのか。そこを掘り下げて考えることが重要なんじゃないかと思います。